先日、娘の方の小学校で担任の先生との懇談会がありました。
今日はその懇談会で思ったことを書きます。
懇談会で先生と話したこと
我が家の娘は勉強に関してはとりあえず問題ないとのことでした。
家でも宿題や支度などのやるべきことをやってから好きなことをするというルールをずっと守っていることもあり、忘れ物をすることも大分減ったようです。
友達とも男女関係なく色々な子と遊んだり話していて、クラスに慣れてきたのか発言する時も大きな声で話せるようになってきたそうです。
聞いていて特に今のところは学校生活に問題はなさそうでした。
それ以外の話で聞いていて、ホッとしたことがありました。
それは勉強で分からないところを「分からないから質問する」、困ったことは先生に「相談する」ということができていることです。
母ちゃんがそれを聞いて安堵したのは昔に聞いた話と自分の子育ての経験が原因でした。
SOSを出せることの重要性
分からないこと、困ったことがあった時に人に助けを求めることができるのは、生きていく上で重要なことです。
- 分からないことを分かったふりをしてしまう。
- 困っても人に助けを求めずに自分で何とかしてしまおうとする。
これらは自分の首を絞めることに繋がることを、母ちゃんは今までの人生で身に染みて実感することが多かったです。
分からないと言える
分かったふりをしても実際にやろうとすると、必ずできなかったり失敗します。
それでよく痛い目に遭いました。
それでしょっちゅう娘に言うのが、「分からないことは恥ずかしくも何ともない。」ということです。
娘が母ちゃんに質問してきたことも分からなかったら「母ちゃんもそれは知らない。」と正直に答えるようにしています。
どんなに博識な人でも知らないことはたくさんあるし、必要ならば調べたり、聞いたりすればいいのです。
変な見栄を張らずに分からないことを質問できるのは素直にすごいなと思いました。
助けを求められることの大切さ
そして、困った時に抱え込んだり溜め込んだりするのいいことでないのは、母ちゃんこれまた身に染みて分かっています。
困って一人で何とかしようと抱え込むと自分を追い詰めてしまったり、抱えきれずに取りこぼして却って周りに迷惑をかけてしまうこともしょっちゅうでした。
この辺りも仕事をしていた時や子育てで嫌というほど実感しました。
それからは大変な時は手伝ってとお願いしたり、抱えてしまったモヤモヤなどは誰かに聞いてもらうなど自分なりにSOSを出せるようになりました。
娘も学校から帰ってきて落ち込んでいたり、しょぼんとしている時もあります。
そんな時はなるべく嫌だったことや辛かったことを聞くようにしています。
嫌なことは嫌だと言っていいし、自分で何とかできなかったら助けてくれそうなお友達や先生に相談するように言っています。
もし、それでも難しいなら母ちゃんが先生と話をしたりすることも最終手段として考えておりますが、とりあえず今の所は出番はなさそうです。
大人になったら家族が助けられない場所や状況はあると思います。
その時に自分で助けてくれる人を見つけて、SOSを出せるようになるのはとても重要です。
抱え込んで自分を責めたり、自分を傷つけることなく、自分を大切にして守れるような大人になって欲しいです。
子供も大人も障害児も誰にも当てはまることかと思います。
助けてもらったらその分をまた自分でできることで返していけばいいのです。
「分からない」や「助けて」は自分の意地や見栄が邪魔をして言えない時が母ちゃんにはありました。
今は恥ずかしいながらもできないことはできないし、分からないことは分からないと言えるようになってきました。
自分の器量以上のことをしようとしたり、大きく見せようとするとそりゃいつか破綻します。
娘にもありのままの自分を大切にしてもらいたいので、母ちゃん自身もその手本となれるよう、下手な意地や見栄はなるべく捨てて、ありのままで生きていけたらいいと思った経験になりました。
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