昔、私が学生だった頃に先生に言われた言葉で心に残っている言葉があります。
教えてくれた先生のこと
当時、中学生の頃の担任だった数学の先生ですが、少し世の中を斜に構えて見ているような一風変わった先生でした。
その先生も障害のあるお子さんを育てていらっしゃって、そのお子さんの話をしてくださったこともありました。
まさか自分も障害児を育てるとはそのときは露ほども思っておりませんでしたが・・・。
その先生がよく言っていたのが、
「明日は我が身」
日常のありがたみを噛み締める
当時中学生だった私にはあまり響かなかった言葉でしたが、子供が産まれて親になってからはその言葉がよく思い出されます。
今日も当たり前のようにお父ちゃんが仕事に行くのを見送り、
子供たちを起こして朝の支度が終わると娘を見送り、
息子をバス停まで連れていき見送り、
少し散歩をして帰ってきました。
でも、この当たり前はとんでもない奇跡の上に成り立っているもので、本当は当たり前ではないことをこの言葉はふと思い出させてくれます。
もし誰かが交通事故に遭ったら
もし誰かが病気になったら
まるで他人事だった不幸が自分ごとになる時が来たら
日常に潜む危険は本当にたくさんあります。
ちょっとしたことで当たり前の日常は簡単に崩れてしまうものです。
明日は自分がそうなっているかもしれない。
子供の笑顔が見られる
家族で笑い合える
大切な人と話ができる
そんな今がどれだけありがたくて大切なのかを噛み締めさせられます。
でも悪い方だけではなくて
もちろん、辛いこと苦しいことなど禍に備える言葉としてだけではなく、逆のことも言えます。
明日はあの人のようにいいことがあるかもしれない
明日は憧れている人のようになれるかもしれない
そんな意味にも捉えることができます。
今は平凡でそんなに特技もないけれど、少しずつできることが増えるかもしれない。
なりたい自分に近づけるかもしれない。
その為に努力したり、挑戦する勇気をくれたりもする言葉でもあります。
「明日は我が身」と振り返る
この言葉を思い出すたびに何度もこの1日1日を大切にしようと思えます。
毎日悔いがないように精一杯生きようと思っても、度々面倒臭がりな自分が出てきたりしてつい後回しにしてしまうことも多いです。
けれど、ふと空を見上げ「ああ幸せってこんな時のことかな」と思い返すたび、当たり前の日常が愛しくなります。
「明日は我が身」
その言葉がよぎると今日はここまでは頑張ろうかなとか、子供やお父ちゃんと今日はこの話をしておきたいなとか、日常のちょっとしたことに背を押される気がします。
当たり前の日常に対する感謝
日常に悔いを残さないように対する戒め
これからを生きるためのちょっとした勇気
そんなきっかけをくれるこの言葉を思い出す度に、今の自分を振り返り、これでいいのかと問いかけます。
自分があの時の先生に同じくらいの年齢になってきたであろう今、その頂いた言葉が重く響いております。
今日も当たり前のように過ごせることに感謝しながらも、それに胡座をかくことなく、大切に日々を精進していきたいなと改めて思った次第です。
大事なことを書き忘れておりました。
先生、大事な教えをありがとうございます。
おかげさまで、私でも何とか母ちゃんを頑張れておりますよ。
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